思考2

思考1からの続き

思考というものは「なぜ」そうなるのかを理解しようという姿勢から発展する。例えば、食器洗剤を買いに行った時に、買い物かごに入れる時の思考を考えてみよう。この時、色々な情報を参考にするはずだ。テレビCMの”キュッキュッ”という食器をこする音で、「この洗剤は汚れを綺麗に落として、泡切れもいい」という(説得力を持つ)感想を基準にしたり、成分表示を見て「よく汚れが落ちそうだ」と判断したりするはずだ。これらの思考には、「なぜ」その食器洗剤がいいのかという「説得力」探しが背景にあるわけで、その「なぜ」は「根拠探し」と言い換える事が出来る。つまり、あなたが食器洗剤を選ぶとき、どの洗剤がいいのか、最も信用できる根拠(説得力)を持つ製品を選ぶわけだ。これはすなわち、「論理的思考」によって洗剤を選んでいるという事と同義だと言える。


逆に思考しない(=考えることをしない)場合の例として、なかなか減らない飲酒運転を取り上げてみよう。飲酒運転は「なぜ」やっちゃいけないの?続きを読む前に、ちょっと考えてみて。考えた?読み飛ばしちゃだめよ。ちゃんと考えて、自分なりの「なぜ」を思いついたら次へ進んでください。飲酒運転は「なぜ」やっちゃいけないのか。それは道路交通法で定められているから。ではない。飲酒すると反応速度が圧倒的に遅くなるので、すこぶる危険だからだ。若い頃に、私自身も飲酒状態でゲームセンターのレースゲームをやったことがあった。そのゲームはハイスコアを叩き出すほどではないものの、コースは暗記していたし、どこで加減速したらいいのかも覚えていたゲームだった。以前のエントリでも書いたように、私は割と酔わない方なので、なんの気なしにやってみたのだ。ところが、酔っぱらってやったその時、ガードレールにぶつかるわ他の車に追突するわで散々な結果だった(それからというもの、飲んだら絶対運転しちゃいけないと肝に銘じたのは別の話)。ところが、飲酒運転で重大事故を起こす輩は後を絶たない。なぜか?。それは、「なぜ」飲酒運転をしてはいけないのか「考えない」からだ。道路交通法で飲酒運転が厳罰に値するのに、「なぜ」厳罰になっているのかを「考え」もせず、「自分は酒が強いから」とか「たいして酔ってないから」などと自分に(根拠薄弱な=説得力のなさ具合では「宿題を忘れたのは、眠かったからです」と同程度の)言い訳をして運転するから事故を起こすわけだ。つまり「自分は酒が強いから」というのは「飲酒時に反応速度が遅くならない」という根拠には、全くなっていないのに気づかないのが原因で、なぜ気づかないかといえば、「なぜ」道路交通法で飲酒運転が厳罰に値する罪(すなわち飲酒基準量を超すと、反応速度が劇的に落ち、重大事故を起こす可能性が限りなく高まるから)なのか、まったく「考えない」のが原因なわけだ。(余談ではあるが、運転中の携帯電話の使用についても、同様の理由がある)

このように、思考(=考えること)というものは日常生活においても深く関わってくるものだ。思考というものは「なぜ」そうなのか?というものを常に伴う。つまり(「なぜ」というのは根拠を求める事であるので)思考とは論理であるという事が言えるのだ。ゆえに、日常生活に於いても論理を求める「なぜ?」の思考が、常に必要であると言える。

では、中高生が考えることをしないのは、なぜだろうか?
第一に親の躾。
第二に学校教育。
第三に周囲の環境。
以上について、今後機会があったら述べるつもりだ。
今日はもう眠いので、これで終わり(笑)

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