田母神論文は正論

田母神論文の全文を読んでみた。
近世の歴史を真面目に勉強してる者にとっては、しごく当たり前の事しか書いていなかった。
むしろ、このテーマで9ページにまとめている所がすごい。
政府見解と違うからと言って更迭するとは、言論の自由はどこへ行った。田母神氏は内規違反をしたのかもしれないが、発言が原因での更迭は憲法違反ではないのか。
マスコミの田母神叩きは、自分の都合のいい時だけ言論の自由をふりかざすマスコミによる言論統制に他ならない。
私は、田母神氏を支持する。
あなたは日本の近世の歴史を、しっかり資料に基づいて語れるだろうか?

さて、この論文のテーマである、日本は侵略国家だったのか。という点を簡単に解説しよう。
まずは「侵略」の定義をハッキリさせよう。
この語を感覚的に用いるから、アホが沸く。

侵略とは(wikipediaより)

侵略(しんりゃく、aggression)は、ある国家・武装勢力が別の国家・武装勢力に対して、自衛ではなく、一方的にその主権・領土や独立を侵すこと。攻撃して攻め入る侵攻(invasion)と異なり、相手の主権・政治的独立を奪う行為のことである。また、そのために武力を行使して争うことを侵略戦争と言う。1974年12月14日の国連総会決議3314により現代国際法上の侵略の定義が初めて定まった。しかしながら、国連総会で侵略の定義についての一応の合意があったことは事実ではあるが、なお、その解釈や有効性については争いがあり、国際法学者の中でも、侵略の定義について過大な期待は禁物であるとする見解がある。

要するに、侵略とは相手の主権・政治的独立を奪う行為のこと。
ただし注意しなければならないのは、この定義は1974年の国連総会決議によって定まったのであり、それ以前は侵略という概念が存在しなかったか、もしくは大して重視されていなかったという点だ。
過去の歴史を、現在の価値観で裁こうとするのは大間違いなのは常識だ。
例えば、豊臣秀吉は本能寺の変の直前、備中高松城を水攻めしていた。掘り返した土を使った堤防を城の周りに築いて、城の周辺(3里四方ぐらいだと思う)を水攻めにしたが、これを環境破壊だといって非難するばからしさは書くまでもない。
同様に、この問題も、当時の価値観の中で日本がどのように行動したのか。その点から見なければ話ははじまらない。

さて、第二次世界大戦までにかけて、欧米列強による植民地支配は侵略の歴史そのものであり、その版図は広範囲にわたり、しかも原住民への搾取は苛烈を極めた。
弱肉強食の世界であり、弱き者から物を奪うのは当時の常識であった。(侵略の世界史―この500年、白人は世界で何をしてきたか (祥伝社黄金文庫))

ひるがえって、日本の施策はどうであったか。
当時の日本は南下するロシアに対抗するための地政学上の要衝ということもあり、日中韓による西欧侵略に対抗する態勢を模索していた。
中国および恐ろしく後進国であった韓国(リンクに写真あり)を文明開化させるため、当時多くの日本人は技術協力や改革運動の支援などをボランティアでやっていた(今こそ中国人に突きつける 日中戦争真実の歴史(徳間書店)
ちなみに朝鮮は植民地ではなく、日本と併合していたので朝鮮半島は日本国になっている。
中国の頑迷な中華主義や、韓国の小中華主義によってこのような改革が頓挫し、福沢諭吉の脱亜入欧論などが出る中で、 韓国側より日韓の併合が持ち出された。
朝鮮半島を併合するのは税金の無駄遣いだ。と反対していた伊藤博文は安重根により暗殺され、それによって日韓併合が加速する事になった。
この併合は、当時の国際法である万国公法上合法であり、不当な侵略とするのは勘違いもはなはだしいと言える。
朝鮮併合については、大日本史番外編朝鮮の巻および韓国併合は悪ではない ~日本と朝鮮の公平な歴史認識~が詳しい。

論文中にも書いてあるが、日本の施策は世界に例を見ないものであった。
欧米の植民地支配は、ただひたすら支配国の利益になるものだけを作らせ、資源を搾取する事のみに特化しており、当時はそれが当たり前だった。白人以外は人間ではない(動物である)というのが当時白人の間では常識であり、植民地を普通に開発するために資本を投下すると言う事は考えられなかった。
しかし、日本による朝鮮半島のインフラの整備は多岐に渡り(私が朝鮮半島でしたこと1928年‐1946年(草思社))、統治期間を通して日本人の血税が朝鮮半島につぎ込まれた。
当時の貨幣価値を換算すると、終戦時に朝鮮半島にあった日本の資産は16兆9300億円と言われる(GHQ試算)
西欧の当時の常識からすると、植民地に残してきた資産は現地の人間に買い取らせるのが当たり前だった。つまりイギリスの資産はインド人が買い取るなどなど。
しかし日本は日韓基本条約締結時に、この資産の請求権を放棄したので、日本人が提供したインフラが丸々残り、そのおかげで戦後の韓国の経済発展が可能となったわけだ。
これは恩を着せるとかそういう問題ではなく、単なる事実でしかない。
戦前の朝鮮半島の写真を見ればわかるとおり、このような国がいきなり発展する事は考えられない。
当時の日本の国力の5分の1を傾けたインフラ整備があってこそ可能な事だった。

次に、満州統治について見てみる。
当時の中国は国民軍自体が匪賊であり、満州地域は見放された地域として無法地帯と化しており、一般民衆に対する略奪・暴行・虐殺等な日常茶飯事だったため、関東軍の満州進出は現地住民によって諸手を挙げて歓迎された。
満州は五族共和(日本、満州、漢、蒙古、朝鮮の共和)を目指して建国され、ソ連(ロシア)の南下政策に対抗して整備が急がれた。
その人口は、建国時の1908年には1583万人だったものが、1934年には4300万人にも増加している。
これは食料生産力向上による生活の向上、医療の普及による死亡率の低下、治安の向上による移民の流入が考えられる。
いずれも、「侵略」という語から連想される苛烈な支配下では、この人口増加率は考えられない。
ちなみにwikipediaによると人口比率は

  • 満洲人(漢族、満洲族、朝鮮族)     30,190,000人     (97.8%)
  • 日本人     590,760人     (1.9%)
  • ロシア人・モンゴル人等の他人種     98,431人     (0.3%)
  • 上記の『満洲人』の中には、68万人の朝鮮族も含んでいる。なお、都市部の住民は20%程度であった。

となっている。
満州が富み栄えた結果、欧米列強に狙われるようになり、またそれまで満州を放置していた国民党や共産党および欧米諸国の謀略の的となってしまった。(今こそ中国人に突きつける 日中戦争真実の歴史(徳間書店)

日本の躍進に危機感を抱いたアメリカによって、次第に外交的締め付けや対日プロパガンダが激化することになる。
一例として、南京大虐殺はアメリカのジャーナリストと中国側が結託した、でっちあげのプロパガンダであるというのが国際的常識となりつつある。
実際、東中野氏らによって南京大虐殺の証拠写真とされる写真群を科学的に検証した結果、全て悪意のあるトリミングによる印象操作を目的とした写真か、合成写真である事が明らかになっている。つまり証拠写真なるものは捏造なのだ。南京事件「証拠写真」を検証する(草思社)

アメリカはABCD包囲網(America,British,China,Duch)という実質上の対日本同盟を敷き、日本の貿易を制限する事により日本に対する兵糧攻めを行った。現在で言うところの経済制裁と考えればわかりやすいだろう。
当時の基準において、このような経済封鎖は戦争行為と同義であり、アメリカによる日本つぶしの意図があったのは明白だ。
これに対し、日本は「国の生き残り」をかけてぎりぎりの交渉を続けたが、アメリカはすでに日本を潰す気でいたのと、ドイツに対する戦線が落ち着くまでの時間を稼ぐため、言を左右にしてまともにとりあわなかった。
リデル・ハートは以下のように述べている。

「このような措置は、1931年にさかのぼる議論においても、日本を戦争に追い込むことは必定」であり、一連の経済封鎖を背景にした、アメリカの要求について、「いかなる国にも、とりわけ日本のような面子を重んじる国にとっては、このような要求を容れることは不可能であった」

要するにABCD包囲網というのは、日本がアメリカに挑まざるを得ないように追い込むための、計算ずくの行動だったと言える。
従って、日本は欧米によって植民地化されるのを回避するために太平洋戦争へ打って出るしかなくなった。というのが実際の所だ。

まとめると、以上のように当時の状況としては

  • 朝鮮半島は国際法上でも日本国
  • 満州国はソ連の南下を防ぐための拠点(善政を敷いていた)
  • ABCD包囲網による国の滅亡の瀬戸際

このような歴史の流れによって、日本は自国および自国の経済圏を守るために自衛戦争に打って出たと言える。
第二次大戦はなんだったかを語るには、このように歴史の流れと当時の価値観によって考えなければならないのだ。

田母神論文は、この事をコンパクトにまとめて書いているだけだ。
しごくまっとうな歴史について、正しく主張しているだけである。

なぜ田母神論文が叩かれるのだろうか。
GHQは戦後統治で検閲を大々的に行い、このような当時の正確な歴史認識を全力で妨げようとしてきた(閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本 (文春文庫)GHQ焚書図書開封―米占領軍に消された戦前の日本)。
この結果日本の戦後教育において、日本自虐史観が産まれた。アメリカは日本人の根性を骨抜きにするには、歴史を消し去ればよい事をわかっていたからだ。
このアメリカの戦後教育により自虐史観を植え付けられた国民が、共産化の赤い波に飲み込まれ、いわゆるサヨクというものが登場することになる。蛇足ながら、学生運動もこの流れの中で生まれたと私は考えている。
これらサヨクが教育・報道・政治の場に進出し、さらに若い国民を教育することで自虐的な史観が強化され、今に至るわけだ。
大阪の橋下知事が日教組を攻撃したのは記憶に新しいが、日教組はサヨクの牙城の一つであった。興味があれば調べてみるといいだろう。
要するに教師が率先して日本人自身を骨抜きにしてきたわけだ。また、そのような教育を受けてきた者がマスコミに入り、自虐史観に反するような見解を激しく叩く。

果たして、反対の意見を封殺するのが、本当に言論が自由の国と言えるだろうか?
よく考えてみてほしい。
政府見解と違うからと言って更迭するとは、言論の自由はどこへ行った。田母神氏は内規違反をしたのかもしれないが、発言が原因での更迭は思想信条の自由を保障した憲法への違反ではないのか。
マスコミの田母神叩きは、自分の都合のいい時だけ言論の自由をふりかざすマスコミによる言論統制に他ならない。
私は田母神氏を支持する

言いたい事を言えない世の中にしたのは、一体誰だ。

 

 

以下は、情報の保管のため田母神論文の全文を転載する。
転載元
http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf

 

 日本は侵略国家であったのか
田母神俊雄(防衛省航空幕僚長 空将)

アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留し
ている。これをアメリカによる日本侵略とは言わない。二国間で合意
された条約に基づいているからである。我が国は戦前中国大陸や朝鮮
半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留
も条約に基づいたものであることは意外に知られていない。日本は19
世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めることになるが相手
国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。現在の中国政府
から「日本の侵略」を執拗に追求されるが、我が国は日清戦争、日露
戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守
るために条約等に基づいて軍を配置したのである。これに対し、圧力
をかけて条約を無理矢理締結させたのだから条約そのものが無効だと
いう人もいるが、昔も今も多少の圧力を伴わない条約など存在したこ
とがない。
この日本軍に対し蒋介石国民党は頻繁にテロ行為を繰り返す。邦人
に対する大規模な暴行、惨殺事件も繰り返し発生する。これは現在日
本に存在する米軍の横田基地や横須賀基地などに自衛隊が攻撃を仕掛
け、米国軍人及びその家族などを暴行、惨殺するようものであり、と
ても許容できるものではない。これに対し日本政府は辛抱強く和平を
追求するが、その都度蒋介石に裏切られるのである。実は蒋介石はコ
ミンテルンに動かされていた。1936 年の第2 次国共合作によりコミン
テルンの手先である毛沢東共産党のゲリラが国民党内に多数入り込ん
でいた。コミンテルンの目的は日本軍と国民党を戦わせ、両者を疲弊
させ、最終的に毛沢東共産党に中国大陸を支配させることであった。
我が国は国民党の度重なる挑発に遂に我慢しきれなくなって1937 年
8 月15 日、日本の近衛文麿内閣は「支那軍の暴戻(ぼうれい)を膺懲
(ようちょう)し以って南京政府の反省を促す為、今や断乎たる措置を
とる」と言う声明を発表した。我が国は蒋介石により日中戦争に引き
ずり込まれた被害者なのである。
1928 年の張作霖列車爆破事件も関東軍の仕業であると長い間言わ
れてきたが、近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、少なくとも日
本軍がやったとは断定できなくなった。「マオ( 誰も知らなかった毛沢
東)( ユン・チアン、講談社)」、「黄文雄の大東亜戦争肯定論( 黄文雄、
ワック出版)」及び「日本よ、「歴史力」を磨け( 櫻井よしこ編、文藝
春秋)」などによると、最近ではコミンテルンの仕業という説が極めて
有力になってきている。日中戦争の開始直前の1937 年7 月7 日の廬
溝橋事件についても、これまで日本の中国侵略の証みたいに言われて
きた。しかし今では、東京裁判の最中に中国共産党の劉少奇が西側の
記者との記者会見で「廬溝橋の仕掛け人は中国共産党で、現地指揮官
はこの俺だった」と証言していたことがわかっている「大東亜解放戦
争( 岩間弘、岩間書店)」。もし日本が侵略国家であったというのなら
ば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問い
たい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならな
いが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。
我が国は満州も朝鮮半島も台湾も日本本土と同じように開発しよ
うとした。当時列強といわれる国の中で植民地の内地化を図ろうとし
た国は日本のみである。我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な
植民地統治をしたのである。満州帝國は、成立当初の1932 年1 月に
は3 千万人の人口であったが、毎年100 万人以上も人口が増え続け、
1945 年の終戦時には5 千万人に増加していたのである。満州の人口は
何故爆発的に増えたのか。それは満州が豊かで治安が良かったからで
ある。侵略といわれるような行為が行われるところに人が集まるわけ
がない。農業以外にほとんど産業がなかった満州の荒野は、わずか15
年の間に日本政府によって活力ある工業国家に生まれ変わった。朝鮮
半島も日本統治下の35 年間で1 千3 百万人の人口が2 千5 百万人と
約2 倍に増えている「朝鮮総督府統計年鑑」。日本統治下の朝鮮も豊
かで治安が良かった証拠である。戦後の日本においては、満州や朝鮮
半島の平和な暮らしが、日本軍によって破壊されたかのように言われ
ている。しかし実際には日本政府と日本軍の努力によって、現地の人々
はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上したので
ある。
我が国は満州や朝鮮半島や台湾に学校を多く造り現地人の教育に
力を入れた。道路、発電所、水道など生活のインフラも数多く残して
いる。また1924 年には朝鮮に京城帝国大学、1928 年には台湾に台北
帝国大学を設立した。日本政府は明治維新以降9 つの帝国大学を設立
したが、京城帝国大学は6 番目、台北帝国大学は7 番目に造られた。
その後8 番目が1931 年の大阪帝国大学、9 番目が1939 年の名古屋帝
国大学という順である。なんと日本政府は大阪や名古屋よりも先に朝
鮮や台湾に帝国大学を造っているのだ。また日本政府は朝鮮人も中国
人も陸軍士官学校への入校を認めた。戦後マニラの軍事裁判で死刑に
なった朝鮮出身の洪思翊
ホンサイク
という陸軍中将がいる。この人は陸軍士官学
校2 6 期生で、硫黄島で勇名をはせた栗林忠道中将と同期生である。
朝鮮名のままで帝国陸軍の中将に栄進した人である。またその1 期後
輩には金錫源(キンソグォン)大佐がいる。日中戦争の時、中国で大隊
長であった。日本兵約1 千名を率いて何百年も虐められ続けた元宗主
国の中国軍を蹴散らした。その軍功著しいことにより天皇陛下の金賜勲
章を頂いている。もちろん創氏改名などしていない。中国では蒋介石も
日本の陸軍士官学校を卒業し新潟の高田の連隊で隊付き教育を受けてい
る。1 期後輩で蒋介石の参謀で何応欽(カオウキン)もいる。

李王朝の最後の殿下である李垠(イウン)殿下も陸軍士官学校の29期
の卒業生である。李垠(イウン)殿下は日本に対する人質のような形
で1 0 歳の時に日本に来られることになった。しかし日本政府は殿
下を王族として丁重に遇し、殿下は学習院で学んだあと陸軍士官学校
をご卒業になった。陸軍では陸軍中将に栄進されご活躍された。この
李垠(イウン)殿下のお妃となられたのが日本の梨本宮方子(まさこ)
妃殿下である。この方は昭和天皇のお妃候補であった高貴なお方であ
る。もし日本政府が李王朝を潰すつもりならこのような高貴な方を李
垠(イウン)殿下のもとに嫁がせることはなかったであろう。因みに
宮内省はお二人のために1930 年に新居を建設した。
現在の赤坂プリンスホテル別館である。また清朝最後の皇帝また満州
帝国皇帝であった溥儀(フギ)殿下の弟君である溥傑(フケツ)殿下
のもとに嫁がれたのは、日本の華族嵯峨家の嵯峨浩妃殿下である。
これを当時の列強といわれる国々との比較で考えてみると日本の満
州や朝鮮や台湾に対する思い入れは、列強の植民地統治とは全く違っ
ていることに気がつくであろう。イギリスがインドを占領したがイン
ド人のために教育を与えることはなかった。インド人をイギリスの士
官学校に入れることもなかった。もちろんイギリスの王室からインド
に嫁がせることなど考えられない。これはオランダ、フランス、アメ
リカなどの国々でも同じことである。一方日本は第2 次大戦前から5
族協和を唱え、大和、朝鮮、漢、満州、蒙古の各民族が入り交じって
仲良く暮らすことを夢に描いていた。人種差別が当然と考えられてい
た当時にあって画期的なことである。第1 次大戦後のパリ講和会議に
おいて、日本が人種差別撤廃を条約に書き込むことを主張した際、イ
ギリスやアメリカから一笑に付されたのである。現在の世界を見れば
当時日本が主張していたとおりの世界になっている。
時間は遡るが、清国は1900 年の義和団事件の事後処理を迫られ
1901 年に我が国を含む11 カ国との間で義和団最終議定書を締結した。
その結果として我が国は清国に駐兵権を獲得し当初2 600 名の兵を置
いた「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」。また1915 年に
は袁世凱政府との4 ヶ月にわたる交渉の末、中国の言い分も入れて、
いわゆる対華21 箇条の要求について合意した。これを日本の中国侵
略の始まりとか言う人がいるが、この要求が、列強の植民地支配が一
般的な当時の国際常識に照らして、それほどおかしなものとは思わな
い。中国も一度は完全に承諾し批准した。しかし4 年後の1919 年、
パリ講和会議に列席を許された中国が、アメリカの後押しで対華21
箇条の要求に対する不満を述べることになる。それでもイギリスやフ
ランスなどは日本の言い分を支持してくれたのである「日本史から見
た日本人・昭和編( 渡部昇一、祥伝社)」。また我が国は蒋介石国民党
との間でも合意を得ずして軍を進めたことはない。常に中国側の承認
の下に軍を進めている。1901 年から置かれることになった北京の日本
軍は、36 年後の廬溝橋事件の時でさえ5600 名にしかなっていない「廬
溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」。このとき北京周辺には数
十万の国民党軍が展開しており、形の上でも侵略にはほど遠い。幣原
喜重郎外務大臣に象徴される対中融和外交こそが我が国の基本方針で
あり、それは今も昔も変わらない。
さて日本が中国大陸や朝鮮半島を侵略したために、遂に日米戦争に
突入し3 百万人もの犠牲者を出して敗戦を迎えることになった、日本
は取り返しの付かない過ちを犯したという人がいる。しかしこれも今
では、日本を戦争に引きずり込むために、アメリカによって慎重に仕
掛けられた罠であったことが判明している。実はアメリカもコミンテ
ルンに動かされていた。ヴェノナファイルというアメリカの公式文書
がある。米国国家安全保障局( N S A )のホームページに載っている。
膨大な文書であるが、月刊正論平成18 年5 月号に青山学院大学の福
井助教授(当時)が内容をかいつまんで紹介してくれている。ヴェノナ
ファイルとは、コミンテルンとアメリカにいたエージェントとの交信
記録をまとめたものである。アメリカは1940 年から1948 年までの8
年間これをモニターしていた。当時ソ連は1 回限りの暗号書を使用し
ていたためアメリカはこれを解読できなかった。そこでアメリカは、
日米戦争の最中である1943 年から解読作業を開始した。そしてなん
と37 年もかかって、レーガン政権が出来る直前の1980 年に至って解
読作業を終えたというから驚きである。しかし当時は冷戦の真っ只中
であったためにアメリカはこれを機密文書とした。その後冷戦が終了
し1995 年に機密が解除され一般に公開されることになった。これに
よれば1933 年に生まれたアメリカのフランクリン・ルーズベルト政
権の中には3 百人のコミンテルンのスパイがいたという。その中で昇
りつめたのは財務省ナンバー2 の財務次官ハリー・ホワイトであった。
ハリー・ホワイトは日本に対する最後通牒ハル・ノートを書いた張本
人であると言われている。彼はルーズベルト大統領の親友であるモー
ゲンソー財務長官を通じてルーズベルト大統領を動かし、我が国を日
米戦争に追い込んでいく。当時ルーズベルトは共産主義の恐ろしさを
認識していなかった。彼はハリー・ホワイトらを通じてコミンテルン
の工作を受け、戦闘機100 機からなるフライングタイガースを派遣す
るなど、日本と戦う蒋介石を、陰で強力に支援していた。真珠湾攻撃
に先立つ1 ヶ月半も前から中国大陸においてアメリカは日本に対し、
隠密に航空攻撃を開始していたのである。
ルーズベルトは戦争をしないという公約で大統領になったため、日
米戦争を開始するにはどうしても見かけ上日本に第1 撃を引かせる必
要があった。日本はルーズベルトの仕掛けた罠にはまり真珠湾攻撃を
決行することになる。さて日米戦争は避けることが出来たのだろうか。
日本がアメリカの要求するハル・ノートを受け入れれば一時的にせよ
日米戦争を避けることは出来たかもしれない。しかし一時的に戦争を
避けることが出来たとしても、当時の弱肉強食の国際情勢を考えれば、
アメリカから第2, 第3 の要求が出てきたであろうことは容易に想像
がつく。結果として現在に生きる私たちは白人国家の植民地である日
本で生活していた可能性が大である。文明の利器である自動車や洗濯
機やパソコンなどは放っておけばいつかは誰かが造る。しかし人類の
歴史の中で支配、被支配の関係は戦争によってのみ解決されてきた。
強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されるこ
とに甘んじなければならない。
さて大東亜戦争の後、多くのアジア、アフリカ諸国が白人国家の支
配から解放されることになった。人種平等の世界が到来し国家間の問
題も話し合いによって解決されるようになった。それは日露戦争、そ
して大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。もし日本があの
時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るの
があと百年、2 百年遅れていたかもしれない。そういう意味で私たち
は日本の国のために戦った先人、そして国のために尊い命を捧げた英
霊に対し感謝しなければならない。そのお陰で今日私たちは平和で豊
かな生活を営むことが出来るのだ。
一方で大東亜戦争を「あの愚劣な戦争」などという人がいる。戦争
などしなくても今日の平和で豊かな社会が実現できたと思っているの
であろう。当時の我が国の指導者はみんな馬鹿だったと言わんばかり
である。やらなくてもいい戦争をやって多くの日本国民の命を奪った。
亡くなった人はみんな犬死にだったと言っているようなものである。
しかし人類の歴史を振り返ればことはそう簡単ではないことが解る。
現在においてさえ一度決定された国際関係を覆すことは極めて困難で
ある。日米安保条約に基づきアメリカは日本の首都圏にも立派な基地
を保有している。これを日本が返してくれと言ってもそう簡単には返
ってこない。ロシアとの関係でも北方四島は6 0 年以上不法に占拠さ
れたままである。竹島も韓国の実効支配が続いている。
東京裁判はあの戦争の責任を全て日本に押し付けようとしたもの
である。そしてそのマインドコントロールは戦後63 年を経てもなお
日本人を惑わせている。日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略
する、だから自衛隊は出来るだけ動きにくいようにしておこうという
ものである。自衛隊は領域の警備も出来ない、集団的自衛権も行使出
来ない、武器の使用も極めて制約が多い、また攻撃的兵器の保有も禁
止されている。諸外国の軍と比べれば自衛隊は雁字搦めで身動きでき
ないようになっている。このマインドコントロールから解放されない
限り我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない。アメ
リカに守ってもらうしかない。アメリカに守ってもらえば日本のアメ
リカ化が加速する。日本の経済も、金融も、商慣行も、雇用も、司法
もアメリカのシステムに近づいていく。改革のオンパレードで我が国
の伝統文化が壊されていく。日本ではいま文化大革命が進行中なので
はないか。日本国民は2 0 年前と今とではどちらが心安らかに暮らし
ているのだろうか。日本は良い国に向かっているのだろうか。私は日
米同盟を否定しているわけではない。アジア地域の安定のためには良
好な日米関係が必須である。但し日米関係は必要なときに助け合う良
好な親子関係のようなものであることが望ましい。子供がいつまでも
親に頼りきっているような関係は改善の必要があると思っている。
自分の国を自分で守る体制を整えることは、我が国に対する侵略を
未然に抑止するとともに外交交渉の後ろ盾になる。諸外国では、ごく
普通に理解されているこのことが我が国においては国民に理解が行き
届かない。今なお大東亜戦争で我が国の侵略がアジア諸国に耐えがた
い苦しみを与えたと思っている人が多い。しかし私たちは多くのアジ
ア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価していることを認識しておく必要
がある。タイで、ビルマで、インドで、シンガポールで、インドネシ
アで、大東亜戦争を戦った日本の評価は高いのだ。そして日本軍に直
接接していた人たちの多くは日本軍に高い評価を与え、日本軍を直接
見ていない人たちが日本軍の残虐行為を吹聴している場合が多いこと
も知っておかなければならない。日本軍の軍紀が他国に比較して如何
に厳正であったか多くの外国人の証言もある。我が国が侵略国家だっ
たなどというのは正に濡れ衣である。
日本というのは古い歴史と優れた伝統を持つ素晴らしい国なのだ。
私たちは日本人として我が国の歴史について誇りを持たなければなら
ない。人は特別な思想を注入されない限りは自分の生まれた故郷や自
分の生まれた国を自然に愛するものである。日本の場合は歴史的事実
を丹念に見ていくだけでこの国が実施してきたことが素晴らしいこと
であることがわかる。嘘やねつ造は全く必要がない。個別事象に目を
向ければ悪行と言われるものもあるだろう。それは現在の先進国の中
でも暴行や殺人が起こるのと同じことである。私たちは輝かしい日本
の歴史を取り戻さなければならない。歴史を抹殺された国家は衰退の
一途を辿るのみである。

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田母神論文は正論

田母神論文は正論” への4件のフィードバック

  1. くろちゃん。 のコメント:

    私もこのマスコミのやり方と自衛隊のあり方に対して
    なんで?と思っているのですよ。
    立場とかも関係ないとも思うんだよね。
    全て間違った事を言っているわけではなく、
    意見を述べただけだというのになぁ。
    もっと自分の国の歴史に対して真正面から見てさ、
    んで、自分の国の文化と歴史に誇りを持ちたいと思うんだよね。

  2. 疾風 のコメント:

    こんな堅い文章読んでコメントまで書いてくれてありがとう。
    嬉しいわー
    マスコミは腐敗しきってるし、政治家もしかり。教育はいわずものがな。
    調べれば調べるほど、いまの日本のひどさがわかる。
    黒船来港以来の危機なんじゃなかろうかと思うんだよね。
    いま俺にできること、清濁あわせた本当の日本の歴史の入り口に一人でも二人でも案内できるように、エントリを書くだけだなあ。
    自国の過去の歴史に誇りを持ってないのなんて、日本人ぐらいなもんだよ。
    一般的な日本人の無関心さには、無念としか言いようがない

  3. くろちゃん のコメント:

    無関心な事がかっこいいというような風潮も無きにしも非ず。
    その割には情報過多でその情報も偏ってるしねー
    かたい文章とは思わなかったし
    よみやすかったじょ。

  4. 疾風 のコメント:

    こういう問題に無関心なのは家畜と一緒。と思ってる。
    まあ心理学的に公平に考えれば、情報過多だから無関心になるとも言えるんだけど。
    読みやすかったならよかったわー。
    論理記述もまだまだ勉強せねば。

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